「パラサイト」 ポン・ジュノ監督 ★★★★★★★★★☆
トピック「半地下の家族」について
2020.01.13 ポン・ジュノ監督「パラサイト」を鑑賞した。
とんでもない映画だった。2020年初映画館だったが、「これ以上いい映画を今年観られるのかな?」というくらい面白い映画。
鑑賞後、この映画のことばかり考えてしまう。
構成・セリフなど、かなり細部まで作りこまれた映画だったので、忘れないうちに映画を見て考えたことをまとめました。
絶対にネタバレを見ないで鑑賞したほうが良いタイプの映画ですが、
この映画の背景として、町山さんのラジオの文字起こしを読んでおくとより一層楽しめると思います!!
以下ネタバレ有りで語ります(映画見てない人は絶対見ないでね!)
セリフの引用はうろ覚えです!
まず、この映画は「富裕層の家族」「半地下の家族」、そして中盤から登場する「地下の家族」の3層の家族が登場する。
「地下の家族」が登場することによって、一気に緊張感が増し、転がり落ちるように展開は加速していく。
そして、「地下の家族」は「半地下の家族」へ、「半地下の家族」は「富裕層の家族」へ、
つまり1層上の家族に憎しみをぶつけることになる。
その結果、「地下の家族」は死に、「半地下の家族」は死ぬか、ボロボロになるか、「地下行き」になってしまう。
唯一「地下の家族」を救えたかもしれない娘・ギジョン(最後、パーティの料理を地下に持っていこうとしていた)だけが殺されるという皮肉も含め、凄まじく練られた構成。
まず私は、この映画は「誰も悪くない映画」だと思った。
行動だけ見れば、「半地下の家族」(詐欺・人の仕事を奪う・窃盗・殺人)、「地下の家族」(窃盗・殺人)が悪いことは間違いない。
ただし、これらは色々な事が重なった結果であり、
この2つの家族は、「富裕層家族」の求める仕事はほぼ、問題なくこなせていた。
全員、求められる能力をきちんと持った人材ではあったということだ。
「半地下の家族」が他人のポジションを奪ってまで『寄生』したのは、
父・ギテクの「大卒が500人も押し寄せるような職場に、みんな就職できてよかったな!」という、家族での食事のシーンのセリフにも表れているように、貧しい人にはチャンス自体がめったに与えられない社会だから。
「富裕層家族」のリビングに忍び込んでの宴会シーンでも、
ギテクは「前の運転手、もっといい社長のお家に勤めてるかな」と少し罪の意識をのぞかせているが、
その後のギジョンのセリフ「それどころじゃない。自分のことだけ気にすればいいんだよ」の通り、
彼らの貧しさは、まさに「それどころではない」のである。
「地下の家族」は、4年間にもわたって隠れて住み、食料を盗んでいたものの、
元家政婦・ムングァンの発言「食事は自分のお金で買っていた」が正しければ、窃盗もしていないことになる。
窃盗をしていたとしても、パク社長の「2人前も食べる家政婦だったが、それに値する仕事をしてくれた」というセリフにも表れる通り、
「富裕層家族」は全く気にしていないし、実際に彼女の仕事ぶりをすごく認めていた。
「半地下の家族」に存在がバレた時も、最初はお金を渡して、平和な形でなんとか今まで通りの暮らしを保とうとしていた。
もちろん「富裕層家族」も悪い人たちではない。
「匂い」やソファでの貧困層プレイ、洪水のことを全く気にとめないところ、
当然、犯罪ではないし、単純に彼らには貧困層のことは、見えてさえいない。
ギテクには彼らに悪気がないことが余計に腹立たしく感じられたのだろう。
次に、すべての家族に共通しているのは「家族を愛していて、自分の家族を守りたい」という気持ちが強くあること。
「富裕層家族」は、自分の家族によりよい生活をさせるために色々な人を雇用した。
「半地下の家族」と「地下の家族」は、自分の家族によりよい生活をさせるために全員で『寄生』した。
「富裕層家族」はソファや家族の行事、「半地下の家族」は寄生成功したときのこっそりイチャイチャ、
「地下の家族」は地下室にあったコンドームでわかるように、どの家族も仲が良く、愛のある家庭だ。
何か1つボタンの掛け違いがなければ、どの家族も穏やかな生活を守ることはできたのではないのか。
ストーリーを何度も反芻して、そんな気持ちにさせられた。
最後に、ラストシーンについて。
息子・ギウが書いたモールス信号の手紙は、届ける手段がないのでは?
もしギウがお金持ちになってあの家を買えるようになっても、
久しぶりに「地下」のギテクに会ったら、鼻をつまむような人間になっていないか?
そんな風に、リアル、かつどこか親しみを覚えてしまうような登場人物ばかりで、
「あの人、ラストのあとどんな風に暮らしているのかな」なんて考えたりした。
とにかく、2020年1発目にすばらしい映画を見た!
今年も、ものすごい映画にたくさん出会えますように!