ASMR
俺には寝る前の儀式があった。
シングルサイズのベッドに寝っ転がったら、
スマホでYoutubeにアクセスして、ワイヤレスイヤホンでASMRの動画を聴きながら眠る。
毎日流している動画は一緒で、「ASMR 絶対眠れる!耳かき」という耳かきの音が入ったものだ。
名前の通り、これを流していると俺はすっと眠れるので、
この動画を見つけてから2ヶ月以上この動画を流しながら眠っていた。
8時間もあって広告なし。
いつ寝落ちしても大丈夫な、俺にとって完璧な動画だった。
この日もいつものようにイヤホンをつけ、電気を消し、「儀式」の準備をする。
コーラルピンクの少し長いネイルが施された真っ白い綺麗な手が、
綿棒のケースに手をかけ、ケースを開こうとしている様子、
そして真ん中にはなんだか高そうなマイクとレコーダーが映っていた。
耳元でかぱっ、と綿棒の蓋が開く音がする。
この音も好きなんだよな、なんて思いながら
スマホの光る画面を下にしてベッドサイドに置いて、目をつむった。
綿棒でゴソゴソと耳を擦られている音を聞くと、
なんだか耳の周りがホワホワと暖かくなってくる気がする。
これは錯覚なのだろうけど、これがものすごく落ち着くのだ。
気付いたらいつも眠りに落ちてしまう。
この日も再生してすぐ、意識を手放してしまった。
だけどこの日はいつもと違うことがあった。
ゴポポポポ
耳元でそんな音がして、ぱっと目を覚ました。
眠りに落ちてからどのぐらい経っただろうか。
わからないが、カーテンから光が漏れていないところを見ると、まだ深夜のようだ。
大量の水が排水溝に吸い込まれていく時のような音と、なにかをせっかちに引っ掻くような音がイヤホン越しに聞こえてくる。
この動画に、こんな音あったっけ。
寝ぼけながらも、手さぐりでスマホを掴んで画面を目を細めて見て、目を疑った。
そこには、60くらいの老いた男が映っていた。
大きなカッターみたいな刃物を自分の喉に当てて、すごい勢いでガリガリと引いている。
はっきりと見開かれた血走った目と、バッチリと目があった。口をパクパクさせているが何も声は聞こえない。
その代わり、喉の切れ目からはゴポゴポと赤黒い血がどんどんと吹き出し、時々ヒューヒューという息が漏れるような音がしている。
すぐに老人の腕は動かなくなり、ゴポゴポッという音と刃物が落ちてカンカンと高い音を立てた。
なんだ、これは。
突然のことに恐ろしくてどうしていいかわからず、スマホもイヤホンも床にぶん投げて、布団を頭からかぶって寝た。
そのあとは朝まで一睡もできなかった。
それから起きて、スマホを触るのも恐ろしかったけど、
恐る恐る視聴履歴を見たら、そんな動画なんて存在してなかった。
「ASMR 絶対眠れる!耳かき」にもそんなシーンなかった。
誰に話しても、寝ぼけてて悪夢とごっちゃになってるんだよ、と言われたけど
俺は確かにハッキリとあの音と、爺さんのあの眼差しを覚えてるんだよね…。